2003年8月23〜24日 鳥栖(福岡&佐賀)編  (Part2 吉野ヶ里編)


 鳥栖戦の翌日、せっかく佐賀まできたから、佐賀をサガそう!! ということで「吉野ヶ里遺跡」に行ってきました。
とにかく吉野ヶ里は暑かった・・・。

博多から特急で鳥栖へ。鳥栖から長崎線に乗り換えです。
昨日、戦いが繰り広げられたこちらの看板は、早速次のHOMEの告知。
切替が早いですな。
吉野ヶ里公園駅に到着
♪車なんて〜滅多に通らないのに〜

でも、夏休みだったからか、蛍光テープをつけたヘルメットを被った小学生は見かけませんでした(^_^;)。
古代米(赤米)を栽培中。
冷夏の今年、こちらの育ち具合はいかがだったのでしょうか?
吉野ヶ里歴史公園へ到着。(入場料:大人400円)
遺跡をバックに公園のキャラクター「ひみか」と写真撮影「
(公園内に遺跡があります)
「乱杭」というものです。
大昔、バリケードとして作ったそうです。
刺さったら何気に痛そうです。
竪穴式住居の跡です。
勾玉作りに挑戦!!のコーナー
でも、時間がかかるそうなので私はパスしました・・・(^^;)。
時間に余裕のある方は是非チャレンジしてみては・・・。
山々をバックに南内郭の物見やぐらを撮影。
南内郭内にはこんな竪穴式住居が幾つか並んでおりました。
住居の中はこんな感じです。
寝床や生活用品一式が置いてありました。
村長(むらおさ)クラスになると、これよりちょいと豪華になります。
隣の資料館へ。クーラーが効いていて気持ちよかった・・・。
それはおいといて・・・。

入口正面に埋まっていた銅鐸がありました。
甕棺(かめかん)を復元しております。
昔は死んだ人をこの中に入れて葬ったそうです。
犬、キジ、いのししの骨が。
これでサルがいても桃太郎にはなりません。
吉野ヶ里辺りでは、昔はカキが取れたそうです。(写真左)

ちなみに、現在、有明海で獲れるカキはこんな大きさです。(写真右)昔に比べるとずいぶん小さいようです。
数年前の有明海干拓事業(今、あまりTVで見かけないけどどうなってるんだろう?)により、獲れるカキはもっと小さくなってるかもしれません。
北回郭へ。
ここでは、クニの政治を司っている地区だったようです。
今でいう永田町や霞ヶ関といったところでしょうか?
上写真の右側の建物2階内部の様子です。
王を中心に、各地の村長とクニの幹部が集まって、祭りなどのクニの行事や収穫をどうするかなどを話し合ったそうです。
 例えれば、官僚と各都道府県知事との話し合い、でしょうか?(そんな打ち合わせ、あまり見かけません。)
この時期は男も女もレベルの差はなかったそうです。
村長の後ろに控えていた「舞子」さんってどんな役目だったの?
宴会で踊る、って訳じゃないよね?
幹部、村長の話し合いで決まらないことが結構あったらしく、その時は神に訊いていたそうです。
(今じゃ、野党がいくら反対しようが、与党が強行採決してしまいますからね・・・。(-_-メ) 決まらない、ってことはないんだろうな。)
近くの物見やぐらのうえから、佐賀の町?を望む。
北回郭の隣のエリアで、高床式倉庫をいくつか見かけました。
きちんと、ねずみ返しがついております。
一通り見終わり、「赤米アイス」を食す。
味はまあまあというところでしょうか・・・。

このあと博多に戻り、JTBツアーの仲間と合流。川崎へ帰りました。

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