2005年12月10〜11日 長崎編 Part.2 長崎観光


天皇杯・横浜F・マリノス戦の翌日、夕方まで長崎の街を観光してきました。
江戸時代(家光〜開国)に唯一オランダとの貿易が許された出島と、第2次世界大戦で2度目の原爆が落とされた平和公園周辺へ。

ホテルから出島にいく途中に ♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂〜 のCMでおなじみの文明堂本店を発見。
さすがはカステラの街・長崎
10分くらい歩いて出島に到着。(出島と行っても駒場スタジアムでも相撲力士でもありませんので・・・)
水門側から入ってすぐのところにこんな部屋がありました。江戸時代当時はオランダなどから運び込まれた荷物をここで計量していたそうです。
出島(特に水門近く)にはこのような倉庫がずらりと並んでいたそうです。
実際には明治以降、こういった蔵が取り壊され、数十年前からかつての資料をもとに復元されたそうです。

どうでもいいことですが、この辺でもフロンターレサポーターやマリノスサポーターに遭遇してます。
1階を倉庫とし、2階に寄港したオランダ船の乗組員などが一時的に過ごしていたりしたそうです。
ちなみに、船の乗組員であっても、なぜか女性は出島に立ち入ることは出来なかったそうです。
もう少し行ったこの建物で出島に関する映画が上映されてました。
当時の通訳士(オランダ語で書かれた輸入品リストを即行で日本語に翻訳する役目の人)に扮した方が出島の歴史、江戸当時の様子などを紹介してくれています。
出島の中央部に長崎の街との橋があり、出島に遊女を除く女性や一部を除く僧侶などが立ち入ったり、外国人がここから出て行かないよう見張っていたそうです。
ただ、今では門があるだけでここを出たところでどこにもいけなくなってますが・・・。
つづいて出島資料館へ
オランダなどから日本に輸入されたものや、逆に日本から輸出したものの紹介、出島でのオランダ人の生活ぶり、オランダ商館長が江戸に挨拶にいく様子などが紹介されてまして、当時の様子を深く知ることが出来ます。
出島の端のほうには、当時の出島の復元模型が置いてあり、出島全体の様子をみることが出来ます。
模型の隣には、フランシスコ・ザビエルなど6人の顔をあつらえたオブジェがありました。
出島には、一部工事中になってたり空き地になっているところがあります。というのも、現時点ですべて復元出来ているわけではなく、今後もかつての資料などをもとに復元を進めていってるんだそうです。
出島を出てすぐのところに、長崎で初めて電話交換が行われた場所の碑がありました。
かつては電話番号は1番から割り振っていて、2番目が文明堂なんだそうだから(トリビアネタ)、早くから長崎でも電話交換が行われてたんじゃないかと。
時間も昼時になってきたので、昼飯を食べるべく出島から数分歩いて中華街へ。
長崎といえば皿うどん(またはちゃんぽん)、ということで特製皿うどんをいただきました。
味は・・・普通かな・・・。店によっても味は違うものなのかな?
昼食後、路面電車(100円/1回)で原爆資料館・平和記念館・平和記念公園へ。
「浜口町」駅で下車し、長崎原爆資料館へ。
資料館展示室内は撮影禁止で写真はありませんが、原爆のむごさをまざまざと見せ付けられるものになっております。
例えば、工場の鉄塔が爆風によってひん曲がったり、爆撃によって階段が破壊され、浦上天主堂も破壊され、そこでお祈りをしていた信者が命をおとした、など・・・。
エントランスホールには平和を祈願して、全国各地から送られた千羽鶴が飾られていました。
神奈川からも海老名中学校から送られてました。
続いて、隣の平和記念館へ。
地下には戦争は二度としないという誓い、平和を訴えるメッセージが並んでおります。
長崎への原爆により亡くなられた何千何万もの方々の名簿がこの中に収めているのだそうです。
奥の方向が原爆が投下された地点をさしているのだそうで、それが原爆を忘れてはいけない、決して繰り返されてはならないというメッセージがこめられています。
平和記念館を出たあと、平和記念公園へ。
至る所に平和を祈願する碑が建てられていました。
公園の中心部にあるこちらが、爆心地を示す碑です。
公園の端には長崎の地層が見られるようになっています。
地層の中に割れた瓶やお椀やガラス片などが混ざっており、ここでも原爆の脅威を思い知らされるものになってます。
公園の階段を上り、「平和の泉」へ。
時折噴水がでてきます。
公園内には世界各国からも平和を祈願する碑が贈呈されています。
平和の像の手前に、留置所の跡が。
原爆によりこの留置所も破壊され、多くの受刑者が亡くなったことでしょう。
公園の一番奥には世界平和を祈願して建てられた「平和の像」がありました。
アメリカは当時何万何千ものアメリカ国民の命を救うために、広島、長崎に原爆を投下したそうですが、その原爆により何十万人もの人々が命を落としているのです。
世界の平和のために、自分自身何かしないといけないのかなと改めて考えさせられました。(といいつつ何も出来てないのですが)
長崎駅に戻り、駅そばのバスターミナルより、長崎空港へ。
15:25発となっていながら、バスが10分以上遅れてましたが・・・。
大村湾を眺めながら、長崎空港につながる大橋をわたり、2日間過ごした長崎に別れを告げる。
長崎空港より、17:15発SNA便で東京・羽田へ帰りました。
予定より10分ほど出発が遅れましたが、SNAクオリティということで・・・。

天皇杯5回戦 横浜F・マリノスとの神奈川ダービー@長崎を無事制し、長崎の街を堪能したところで、無事川崎へ帰還。2005年最後の遠征はこうして幕を閉じました。

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