2006年8月19〜20日 新潟編3 Part.2 小千谷

 新潟戦の翌日、電車を乗り継ぎ、錦鯉などで有名な小千谷へ。
 小千谷はまた、2004年11月に起こった、新潟中越地震で甚大な被害を受けたところでもあります。
 そんな街を観光してきましたので、その様子を紹介します。

新幹線、上越本線を乗り継ぎ、錦鯉と闘牛の町・小千谷へ。
前日に続き、非常に暑く、気温は37度をさしてました。
日曜日とあってか、駅前の大通りはひっそりとしてました。
2004年11月の震災より、だいぶ時間が経ってますが、復興を願うメッセージが掲示板に並ぶ。
表向きは復興したようでも、このようにあちらこちらに亀裂があるなど、震災の傷跡が深く残っています。
信濃川を渡る大橋も、震災により被害を受けた橋梁の工事の最中で、至る所にネットがかぶせられていました。
橋を渡ったすぐ先にある二荒神社へ。
こちらの鳥居も、地震で一度崩壊したようで、最近再度建てなおされたそうです。
境内には屋根だけが残されたものや、まだブルーシートがかぶせられているものがあり、こちらにも震災の傷跡がはっきりと残っていると認識。
つづいては、道の駅ならぬ「まちの駅」。
中越地震での被害の様子を克明に残した写真が並ぶ。
アルビレックス新潟、そして1995年1月に阪神大震災で甚大な被害にあった神戸の2チーム殻の復興のメッセージも展示されてました。
ただ、両チームの当時の主将はいずれも現在は横浜FC、当時の両監督はいずれも退任。時は経ってるんですね・・・。
震災からの復興を願うメッセージをこめた飾りが、真冬の中越地方の写真とともに展示されてました。
とにかく、早期の復興を願うばかりです。
つづいて、「錦鯉の里」へ。
入口を入ると、銅像「鯉仙人」が出迎えてくれます。
一言に錦鯉といっても多数の品種があります。
こちらのような真っ白なものもあります。
また、大正三色、昭和三色といった、複数種の鯉を交配させて出来た美しい色合いの鯉も泳いでいます。
ただ、これらが大きくなるにつれ、だんだんと選別され、本当に美しいものだけが残されるのだそうです。
隣の池では、選別されて育った多数の錦鯉がおよぐ。
ちょうど子供たちが鯉に餌付けをしています。
池の脇には、こちらも何度も交配させて作った「黄金」をかたどった模型が鎮座しています。
屋外でも、このような多種多様な鯉が泳いでいました。
中には金色のものまでいます。
錦鯉の里の跡は、隣接する郷土記念館?へ。
長岡での花火大会では三尺玉が打ち上げられることが有名ですが、小千谷ではそれよりも大きい四尺球が打ち上げられるそうで、実寸サイズのものが展示されてました。
続いて、小千谷の産業の紹介。
家庭内でのインターネットも光にシフトしつつある今日、なくてはならないものとなっている、光ファイバーケーブルやLANケーブルなども作られてるのだそうです。
また、車などのメーターや、細かい機械なども造られています。
街中ではちょうどお祭りが行われていたらしく、ダンスやらよさこい踊りやら縁日やらがありました。
そういや、よさこい踊りとかソーラン踊りって、あっちこっちでやってるよな・・・。楽大師もそうだったけど・・・。
小千谷から上越線で越後湯沢へ。
途中、「上越国際スキー場」駅を通過。
夏なのでまったく人気はありませんでしたが。
スキーどころとあって、越後湯沢駅構内ではひっそりとスキー板が置かれてました。
ただ、板だけ置かれているのでちょっと不気味かも・・・。


そんなこんなで、越後湯沢より新幹線で何とか川崎へ帰還。今回はまたしても勝てなかったことが残念ですが、次こそ勝つ!

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